3月の読書メーター まとめ

3月の読書メーター
読んだ本の数:17
読んだページ数:4492
ナイス数:728

保守の遺言:JAP.COM衰滅の状況 (平凡社新書)保守の遺言:JAP.COM衰滅の状況 (平凡社新書)感想
ガンディの非暴力不服従に心の奥底では共感しながら、日本は核武装をすべきだと述べる。西部邁は、いつもこんな具合だった。ん?どっちなんだこの人?と思いつつ読み終わり、なんかもやもやする。そういう文章を書く人だった。初対面の人にいきなり「私はあなたを許さない」「元全学連なのに東大教授になったから」と絡まれたり、苦い思いを散々されたようだ。雑に読むとそういう受け取り方になるのだろうか。政治とは割り切れないものだろう。論じ方も割り切れなくて当然ではなかろうか。自裁の六日前に書かれたあとがきをもって本書は閉じられる。
読了日:03月31日 著者:西部 邁
月岡芳年 妖怪百物語月岡芳年 妖怪百物語感想
幕末〜明治の絵師、芳年の画業のうち妖怪画をコレクションした一冊。絵が、動いている。影の使い方がカッコいい、、、これ、まんまビアズリーじゃねえかという『和漢百物語 華陽夫人』、閻魔大王を叩きのめして力づくで極楽へ行く『一魁随筆 朝比奈三郎義秀』、我が家から歩いて約十分の某所で水戸黄門が妖怪に投げ飛ばされた顛末を描いた『不知藪八幡之実怪』が印象に残った。それらの図から学び取れるのは、妖怪たちに「只今退散仕る」と言わせるためには動じず睨みつければいいということ。ためになるなあ。今度あらわれたらやってみようっと。
読了日:03月30日 著者:日野原 健司,渡邉晃
失語症の源流を訪ねて: 言語聴覚士のカルテから失語症の源流を訪ねて: 言語聴覚士のカルテから感想
池上彰を私淑している著者による、渾身の一般向け概説書。といっても、残念ながらあまり読まれていないことは、読メの登録者数で一目瞭然。まあ、手に取らんよな、、、古代エジプトから現代までの失語症史のあとに、著者お得意の認知神経心理学的アプローチに基づく失語症解釈が展開されます。ただ、まるでこのアプローチこそが「現在では(中略)欠かすことのできないパラダイム」であるかのような編集がされてますが、あくまで数あるリハビリテーション技法の一つに過ぎません。他のアプローチをとる治療者も多いことをここで強調しておきます。
読了日:03月29日 著者:小嶋知幸
気まぐれキーボード (1982年)気まぐれキーボード (1982年)感想
ジャズピアニスト、というより敗戦直後から80年代半ばまで映画音楽や歌謡曲の裏方として大活躍した八木さんのエッセイ集。取り上げられているのはシナトラ、パーカーなど直球の人達。ひねくれジャズファンからはそっぽ向かれそうな人選ですが、LP(断じてアルバムではない)一枚買うのに手が震える時代ですよ。そりゃ間違いないものを買いますよ。占領下の横浜で文字通り足枷せをはめられていた黒人達がジャズマンにとっていかに格好良かったか、山崎豊子が気取って書いた片仮名英語がいかに格好悪いか。とても素直で率直な文章で気持ちがよい。
読了日:03月26日 著者:八木 正生
無限の本棚 増殖版 (ちくま文庫)無限の本棚 増殖版 (ちくま文庫)感想
物を集めることの裏には物欲と整理欲がある。様々な物を集め家計を圧迫し家の床を歪めたりしながら、自身が物そのものより整理欲に突き動かされていることに気がついたとみさわさんは、ある商売をすることに自身の道を見出す。お菓子のおまけとか全◯巻の小説や漫画とか、商売のいいカモにされてると感じるので集めてても面白くない。自分で決めたテーマで縦横無尽に集めるほうが百倍面白い、と日々感じてるので、集めてるものは違うけど方法論に非常に共感した。独自の視点で先行文献やデータをコレクションしなけりゃ学問なんか出来やしないよね。
読了日:03月25日 著者:とみさわ 昭仁
リハ栄養からアプローチするサルコペニアバイブルリハ栄養からアプローチするサルコペニアバイブル感想
この分野、十年にも満たぬ歴史しかない。定義も診断基準も複数存在し、エビデンスにも乏しい。しかし新しい分野とはそんなものだ。過去に出版された書籍や論文をここら辺で一旦総括しておこうという感じの本書。でも、この本が2〜3年後にはバイブルとして機能しなくなるくらい、どんどん先に進まないといけないな。
読了日:03月24日 著者:若林 秀隆,葛谷 雅文
ジャズ最後の日ジャズ最後の日感想
15世紀に流行った音楽がもはや音楽史の本の中で埃に埋もれているように、20世紀に全盛期だったジャズもいずれ絶滅する。しかしジャズは人類の音楽の聴き方を確かに変えたのであり、その影響は滅亡後も続いていくだろう、という表題作を含むエッセイ集。レコードが店頭から消え失せCDが少しずつ増えていった時代に書かれているが、ジョン・ゾーンカシオペア松本伊代といった一部の人名に時代を感じるものの古くなっていない。「音楽のことを考えることは、じつは、脳のことを考えることに他ならないのである」。ね、古くなってないでしょ?
読了日:03月24日 著者:加藤 総夫
たまものたまもの感想
端的に言えば、著者自身の不倫を扱った写真集兼エッセイ。自身の感情と欲望を暴走させ、周囲の人々を巻き込んでボロボロにしながら自己憐憫に浸り、傲慢にもそれを本にしてしまう。結局は自分のことしか考えていないくせに悲劇のヒロイン気取り。ああ、気持ち悪い。下らない。でも、こういう人、時々いるよなあ。
読了日:03月22日 著者:神蔵 美子
江南春 (東洋文庫 217)江南春 (東洋文庫 217)感想
著者自身により雑文集と規定されているが、実際は濃密な文章の集積。表題作は大正11年の中国旅行記。この人はほいほい一人で街中も野山も歩きまわり、鉄道用の鉄橋まで歩いて渡ってしまう。風景描写に陶然とする。『支那戯曲小説中の豊臣秀吉』は、秀吉の死をどれだけ明の人々が喜んだか我々に教えてくれる。もはや人ですらなく「長さ約数千丈、蛇形にして魚鱗あり」な妖怪として描かれる秀吉。『醜の芸術味』では、支那近代芸術が狙っているのは「美」ではなく「真」だと畳み掛け、「醜の芸術味を絶叫」する。ページごとの情報量が尋常ではない。
読了日:03月18日 著者:青木 正兒
珈琲が呼ぶ珈琲が呼ぶ感想
コーヒーについて片岡義男が書いた文章はほとんどないのだという。これまで読んできた彼の文章にはほぼ全てコーヒーが登場した気がするが、確かに正面からコーヒーについて扱った文章はなかった、、、のかなあ。本書は随筆集。コーヒーそのものについての文もあれば、いつものようにコーヒーから連想される映画・曲などについての文や、あちこちの喫茶店についての随想もあり。1939年に発表された『一杯のコーヒーから』に服部良一藤浦洸が込めた意図に思いをはせる『小鳥さえずる春も来る』、こういうレンズの向け方が片岡義男は実にうまい。
読了日:03月17日 著者:片岡義男
超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)感想
SF短編集。一つだけ、どうにも自分の倫理観と合わない作品がありましたが、その他の作品群はどれもいい味でした。この作家さん、ディストピアをシリアスに描く方というイメージでしたが、ご本人曰く、真剣にくだらない話を書く必要性に迫られていたそうで、結果としてのこの短編集なわけです。まさに馬鹿話な短編てんこ盛りですが、あいま合間にジュブナイルSFやシリアスな短編も挟み、倫理観逆撫でするような作品も書き、ってこれ、はるか昔に筒井康隆の短編集読みふけった時に感じたことそのまんまではないか。なるほど日本SFの正統派だな。
読了日:03月15日 著者:宮内 悠介
柳田国男・南方熊楠・往復書簡集〈下〉 (平凡社ライブラリー)柳田国男・南方熊楠・往復書簡集〈下〉 (平凡社ライブラリー)感想
よせばいいのに自身のやり方について熊楠に意見を求めてしまう柳田。ここぞとばかりに手加減無しで批判する熊楠。柳田の創刊した雑誌『郷土研究』は「ルーラル・エコノミー」の雑誌だというが地方経済のことなんか一切載ってないじゃんと全否定。夜這いなどの性風俗についての論文は掲載しないという柳田に「世態のことを論ずるに、猥鄙のことを全く除外しては、その論少しも奥所を究め得ぬなり」と学問に対する姿勢自体を批判。そして熊楠側から絶信。ここまで正反対な二人がなんとか数年間は意見交換出来ていたことを、後世の我々は喜ぶべきか。
読了日:03月11日 著者:柳田 国男,南方 熊楠
旅学的な文体 (五柳叢書 94)旅学的な文体 (五柳叢書 94)感想
「一度としてまともに民俗学者であったことがない」と謙遜する著者による、アカデミズムに背を向けた旅への誘い。そこに民俗学の未来があるのではないか、という想いもあるようです。第一章は26人の旅人達のコンパクトな評伝。高橋竹山、柳田、荷風らに混じって、実に久しぶりにみる〈きだみのる〉の名前もあります。第二章は東北各地のスケッチ。津軽の描写がとても怖く、しかし民俗に関心を持つ者が寺社を訪れるのは「背筋をすーっと冷たい雫が伝い降り」るような人々の抱える底無しの闇と相対するためだよなとも思う。第三章は樹木の文化史。
読了日:03月11日 著者:赤坂 憲雄
ジャズ・ストレート・アヘッドジャズ・ストレート・アヘッド感想
現在は慈恵医大の痛み脳科学センター長である加藤総夫は、かつて『ジャズライフ』誌等で評論活動も行なっていた。スイングジャーナル系の大御所評論家らの偉そうで硬い文章と異なり、加藤やその仲間達の評論はいい意味での軽みがあった。レコードしかめっ面して聴いてるより、下手でも自分で楽器鳴らす方が楽しいよね、と啓蒙してくれた人たちでもある。この本はザビヌルやドルフィといった面々の評伝。随所に譜面が挿入され、ピアノ奏者でもある著者の分析が、専門の神経薬理学の知識を交えて展開される。つくづくエリントンとモンクは別格ですね。
読了日:03月10日 著者:加藤 総夫
きょうだいきかんしゃたろうとじろう (絵本のひろば 16)きょうだいきかんしゃたろうとじろう (絵本のひろば 16)感想
40年程前に幼稚園の片隅で読みふけっていた絵本の一つ。この絵本の出版年は1975年。その三年前に新潟の鉄道は無煙化されているが、この絵本の中ではC11形が走り続けている。といっても、時代の流れには抗えない。山奥も道路が整備され、かつて彼らの誇りであった子供達の遠足も、貸切バスに取って代わられた。自分たちのプライドを日々傷つけられ、落ち込んでいく機関車兄弟。しかし、ある日。なにがいいって、絵がいいですね。日本海側の冬の光景を知っていると、より臨場感を楽しめます。
読了日:03月10日 著者:鶴見 正夫
柳田国男・南方熊楠往復書簡集〈上〉 (平凡社ライブラリー)柳田国男・南方熊楠往復書簡集〈上〉 (平凡社ライブラリー)感想
明治44年3月〜12月にかけての往復書簡集。双方の苛立ちが伝わってくるやりとりが、次第に熱をおび、10月あたりからは罵倒に近いことばの応酬となる。日本人なんてどうせ高等な文章は読めないのだから相手にするだけ無駄だ、日本語で論文など書く気は無いし学会に入る気もない、という熊楠と、いや国を愛するってんなら日本語で書けよという柳田との対立である。業を煮やした熊楠は、じゃあ俺は陰毛の研究と食人の研究をしてるがそれはどこで発表すればいいのか、国内の雑誌に出すか?と柳田を挑発する。両者一歩も譲らないまま下巻へ続く。
読了日:03月04日 著者:柳田 国男,南方 熊楠
釣影―つり随筆 (1980年)釣影―つり随筆 (1980年)感想
自伝。結果として民俗誌でもあります。復員した素石は「絵を描く人募集」という求人広告を見て画工の師匠に弟子入りする。山々を渡り歩く師匠について共に商売をしながら、合間に師と共に釣り糸を垂れる。最初の妻の死、師の死。その後マッカーサー元帥が解任される頃までの素石の生き方は自己破壊的というか自ら泥濘に突き進むような激しいものですが、当時の山々を素石同様歩き回っていた木地師やら刃物研ぎやら山伏やらの面々や、川にきらめくアマゴやイワナ、そしてなにより流麗な文体のおかげで流されるようにすいすいと読み進んでしまいます。
読了日:03月03日 著者:山本 素石

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