読書と散歩

そのまんま。

柴又〜流山⑩ー再び江戸川土手

流山の町の裏を流れる江戸川土手。昭和十二年当時は対岸は広い田園で雲雀が鳴いていたようですが、今はマンションや住宅が立ち並んでいるのが見えます。朽ちた船着場跡は、素白先生が散歩の際に見た帆かけ舟と関係あるのかないのか。「私はぢつと眼をつぶつて矢張り流山へ来て良かつたと思つた」。先生、ガイドして頂きありがとうございました。

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柴又〜流山⑨ー閻魔堂

閻魔堂。歌舞伎ファンのメッカらしいのですが、なにしろ墓地なので写真は遠慮します。入り口には井戸がありました。

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柴又〜流山⑧ー浅間神社の富士塚

流山に来ました。まずは浅間神社富士塚を参拝。登ってみましたが、山頂からみえるのはイトーヨーカドーの看板くらい。昔は見晴らしよかったんだろうなあ。

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柴又〜流山⑥ー万満寺

馬橋駅から徒歩数分の万満寺。素白先生によると昭和十二年当時で「焼けた後の寺は見る影も無かつたが仁王尊は立派なもので有つた」とのこと。仁王さま、この中門に安置されているのですが、現在は正月と春秋の大祭のみのご開帳のようです。今日はうっすらとした姿のみ拝んできました。

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柴又〜流山⑤ー半田稲荷神社

半田稲荷神社は文化十年に中村座の歌舞伎の舞台にもなったと、葛飾区設置の立て札に解説がありました。なるほど井戸を挟んで向こう側、尾上菊五郎市川團十郎の名が柱に刻まれています。

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柴又〜流山④ー半田稲荷神社

半田稲荷神社。「昔繁昌して今は寂れて居る」と素白先生がお書きになったのは昭和十二年。しかし平成八年に境内整備が行われた記念碑が建っているので、往年と比べればともかく、忘れ去られてはいないようです。

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